最初の宣教

2010年1月24日 説教 原田史郎牧師 

マルコによる福音書 1章21~28節

 

  主イエスは、シモンたちを弟子にされた後、カファルナウムの会堂に行かれ、教え始められました。この日は安息日の礼拝日でした。主イエスの宣教は、礼拝から始りました。礼拝は、救いの成就する場所です。ある神学者は「礼拝に於いては、他には起こり得ないことが起こるのである。」と言いました。そのことが、他の集まりと、違うところなのです。

 主イエスが教え始められると、汚れた霊につかれた男が叫び出しました。「ナザレのイエスよ、かまわないでくれ。」会衆ではなく、汚れた霊が一番、敏感に反応したのです。

神の言葉が語られる時、その言葉は魂の病巣に働きます。「神の言葉は生きており、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄を切り離すほどに、心の思いや考えを見分ける」(ヘブル4:12)からです。

 主イエスの宣教が、まずはじめに明らかにするにのは、わたしたちを捕えている罪、わたしたちを蝕み、脅かしている悪霊の支配です。悪霊は、主の教えを妨害するために叫び、主の真の姿「神の聖者だ」と言い当てました。

 この「神の聖者」はシモンも使っていて「あなたこそ、神の聖者であるとわたしは信じ、また知っています。」(ヨハネ6:69)と主を告白しました。初代教会では「神の子}と殆ど同じ意味でした。

 主イエスは、汚れた霊に「黙れ、この人から出ていけ」と命じると、霊は大声を上げて、この男から出て行きました。これは、悪霊の敗北であり、イエスの勝利です。そして、この出来事は、神の国がわたしたちのところに到来していることに徴なのであります。 主イエスによる神の国、救いが礼拝を通して、確かにわたしたちのところに来ているのです。

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