嵐を静めるキリスト

2010年2月21日 説教 原田 史郎牧師

             マルコによる福音書 4章35~41節

 

 夕方になってから、主イエスは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われました。他の船も一緒になって、湖にこぎ出しますが、激しい突風が小さな船団を襲います。周りを高い山に囲まれたガリラヤ湖は、山から吹き下ろす風によって、しばしば突風が起こります。うろたえ騒ぐ弟子たちですが、その時、主は艫で眠っておられました。弟子たちは、主を起こして「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えます。

 嵐や大水は、信仰者に対する苦しみや試練を表すたとえによく使われます。

「神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。奔流がわたしを押し流します」(詩編69:2,3)。この突然の嵐の前に、弟子たちは無力でした。

 今日、この記事の背後にある生活の座は、迫害の中にあった初代教会の姿であると言われます。厳しい迫害の中で、教会は主に訴え「私たちが、滅んでも(直訳)かまわないのですか」と叫びました。

 主イエスは起き上がり、風を叱り湖に「黙れ、静まれ」と命じました。この行為は、旧約で「主は力強い御業を示された。葦の海は主に叱咤されて干上がり」(詩編106:8,9)と言い伝えられている主なる神、ヤハウエと同じ御業なのであります。主イエスは、神の主権をもって、荒れ狂う風を治めたまいます。

 この「黙れ、静まれ」はもう一つの意味が含まれています。カファルナウムの会堂で、主は汚れた霊に命じました。「黙れ、この人から出ていけ」(1:25)、悪霊を退け、病をいやされる大いなるキリストの力が示されているのです。

 苦難や困難、悩みや不安が私たちにもあるでしょう。しかし、どんな時にも主イエスは、キリストとしてわたしたちと共に居て下さるのです。

 主は「何故怖がるのか、まだ信じないのか」と問いたまいます。主に深く信頼する者になりましょう。

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