イエス、死と復活を予告する

2010年3月7日 説教 原田 史郎牧師

 マルコによる福音書 8章27~33節

 

 フィリポ・カイサリア地方に行かれた時、主イエスは弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と問われました。彼らは「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「預言者」などと当時の人々の評価を答えます。

 そこで主イエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられます。ペテロが答えて「あなたは、メシアです」と言い表しました。ここにわたしたちの信仰の中心があります。その中心の問いは、「あなたはイエスを誰とするか」ということです。

 このペテロの告白をマタイ福音書は「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタイ16:17)と書いています。それは、聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」とは言い表せないからです(Ⅱコリント12:3)。 ペテロの告白は、まさに神業でした。

 そこで主イエスは、ご自分がエルサレムで受けられる苦しみについて予告されます。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」。

 だが、この主の言葉は、ペテロのメシア理解を大きく超えるものでした。かれは、主を自分のわきにお連れして、いさめ始めたのです。主はペテロを叱って「サタン、引きさがれ」と言われます。この「引きさがれ」は「わが後に退け」(黒崎訳)と言う意味です。

 ペテロは主の前に立ち、そちら(十字架)の道ではありません、と言うのです。わたしの望んでいるあなたは、もっと栄光に輝いたすばらしい方であるはずです。

 このようにして、わたしたちもしばしば、十字架の道を避けてしまうのです。主イエスの後ろに立ち、主が十字架を負われたように、私たちも自分の十字架を負いつつ、主に従うものになりたいものです。

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