弱さに働く神の力

2010年10月10日

説教 原田 史郎牧師

使徒言行録5章27~42節

 ペンテコステ後、使徒たちの宣教は力を増していきました。その活発な宣教は、反対者たちのねたみと反抗を惹き起こします。神殿当局者たちに捕えられた使徒たちは、ユダヤの最高法院の中に立たされます。「何故、厳しく禁じておいたイエスの名によって、自分の教えを広めるのか。」と、大祭司から尋問を受けます。

 これに対して、ペテロたちは、「人間に従うよりは、神に従わなくてはなりません。」と告白し、主イエスの復活と、主が神の右に高く上げられたことを証言したのです。このときの使徒たちは、同じ最高法院の中に立たれた主イエスのお姿を思い起こさせます。

 

 使徒たちの証言は、単に聖書や預言の知識によったのではありません。十字架と復活の信仰経験の中で、聖霊の語らしむところに従って証言したのです。しかし、この信仰経験は、かつて十字架の主を見離して、逃げてしまった挫折の経験を含むものです。最後まで、主イエスに従いきれなかった弱さの中で、神さまのお取り扱いを受けた経験でもあります。

 

 パウロが言っているように神の「力は、弱さの中でこそ十分に発揮される。」(IIコリント12:9)のであります。聖霊は、わたしたちの強さや成功に力を与えられるのではなく、わたしたちの失敗や弱さのゆえに、その無限の神の力を注いでくださるのであります。それは、神さまの愚かさは、人よりも賢く、また、だれ一人神さまの前に誇ることがないためです。(Iコリント1:25、29)

 わたしたちは、世間的には力のある教会とは言えないでしょう。しかし、信仰と祈りをもって主を見上げるとき「恐れるな、小さき群れよ。」と、主は言われます。この小さき弱き群れにも、宣教への神さの力と聖霊の豊かな働きがあることを覚えましょう。

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