お言葉どおりこの身に成りますように

2010年12月19日

説教 原田 史郎牧師

ルカによる福音書1章26~38節

 ガリラヤの一女性マリアのもとに、み使いガブリエルが現れて告げます。「あなたは、身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」この「イエス」(ヘブル語では、ヨシュア)という名は、ユダヤ人の間で多く見られ、珍しい名前ではありません。それは、イエスが、どこにでもおられる人として、私たちのごく近くに来られた、普遍性を意味しています。

 いかし、この「イエス」という名は、「神は救われる」という意味があり、また、この天的な告知からも分かるように、特別な名前なのであります。それは後に、使徒たちが「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)と言ったことからも明らかです。

 この天使の告知に対して、マリアは、「どうして、そのようなことがありえましょうか。」と聞きます。彼女は、まだ結婚していなかったからです。これに天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」と答えます。聖霊は、創造の霊でもあります。神様が、初めに天地を創造された時、混沌の中に、神の霊が闇の深淵をおおい、激しく動いていた、と創世記は、述べています。(創1:1)

 この言葉を聞いた時、マリアは、言いました。「わたしは、主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」このマリアの言葉の中に、クリスマスを迎える私たちの信仰が言い表されています。

「わたしは、主のはしためです。」それは、天の栄光を捨ててわたしたちの所に来て下さった、イエスを救い主と仰ぎ、このお方を私たちの心にお迎えすることです。わたしたちは、何を主として、生きていますか。このお方こそが、わたしたちの救い、生きる中心なのです。

 そして、「お言葉どおりこの身に成りますように。」と、わたしたちの歩み、生活の全領域に於いて、このイエスを、主として従っていくことであります。そこにクリスマスの祝福があるのです。

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