その時は、だれも知らない

牧師  原田 史郎

マタイによる福音書24章36節

 

 主イエスは、終わりの日について「その時は、だれも知らない」と、言われました。ただ、その日には、予兆があり、いちじくの枝が柔らかくなると、夏が近づいているのが分かるように、幾つかの徴(24章3~35節)が現れます。

しかし、それにも拘わらずわたしたちが心すべきことは、「人の子が来るのは、ノアの時と同じ」であると、主が言われたことです。ノアの時代に人々は、「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」していたのです。神の警告と、今まで人々が見たこともないような巨大な箱舟を、ノアたちが建造するのを見ながら、あるいは、その工事に加わりながら、目先の日常の営みに安住していたのです。

主イエスは「目を覚ましていなさい」と言われます。いつの日に主が来られるのか、わたしたちには分からないのです。アドベントは、主イエスの第一の来臨を待つときであると共に、主の第二の来臨に備えるときでもあるのです。「だから、あなたがたも用意していなさい」と主は言われるのです。

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