イエスの洗礼

牧師  原田 多恵子

マタイによる福音書3章13~17節

イエスは、30歳になられたとき、ナザレを出て、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネはイエスについて「わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない(3章11節)」と言っていましたので、洗礼を思いとどまらせようとします。しかし、イエスは「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言われました。この「正しいこと」とは、「神のみ心に適うこと」です。

 イエスが、洗礼を受けられ、水の中から上がられると、まず「神の霊が鳩のように御自分の上に降ってくる」のを御覧になりました。これは「神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました(使徒言行録10章38節)」ということです。

 さらに天が開け「“これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者”と言う声が天から聞こえた」のでした。これはまた「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ(詩編2篇7節)」いう予言の成就でもあります。この声によって、神は、神の子メシアとして任命し、神の国に関するすべての務めを主に委ねられたのです。

洗礼者ヨハネは、水で悔い改めの洗礼を授けました。しかしイエスは、神に任じられたメシアとして、「聖霊と火(3章11節)」で洗礼を授けられます。今、わたしたちに、悔改めによって罪から命に転換し、神に向かって生きる新しい人に生まれ変わらせる福音が、訪れているのです。

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