神さまを信じるとは

牧師 原田 史郎

 

 ヨハネによる福音書3章16節

日本人は「あなたの宗教は何ですか」と聞かれると、「無宗教です」と答える人が多いと思います。わたしたちの周りの多くの人たちは、「神さまを信じる」とか「特定の信仰をもっている」人は、自分たちとは違う特別な人と考えているのです。

 それにも関わらず、子どもがうまれると、神社に行ったり、旅行で寺社仏閣の境内に入ると、自然に手を合わせたり、頭を下げます。キリスト教についても、クリスマス、最近はイースターも身近になってきました。 無宗教といいつつ、人間の心には、誰であっても、神さまを思い、敬い、祈る心があるのです。

 では、そのような神さまや、わたしたちを超えた超越的な存在者は、どこに見出せるのでしょうか。ところが自分で考え始めても、「神はいます、否、いまさず」という永遠の循環を廻るだけになってしまいます。存在しないようであり、しかし、確信を持ってそれを否定も出来ず、結局、どう考えたらよいのか、分からないということになるのです。事実、昔から、多くの神さまの存在証明がなされてきましたが、(最近も、プラティンガーの様相論理学による神の存在論的論証がありますが)結局は分からないというのが、本当でしょう。

しかし、この人類を悩ます堂々巡りの論議をひとまず横に置いて、わたしたちは、人類の永遠のベストセラーといわれる聖書を紐解くことから始めたいのです。何故なら、聖書の中には、神を求め、神に従い、神と対話した多くの証言と知恵とが満ち満ちているからです。

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