待ちつづける父(伝道礼拝)

牧師 原田 史郎

 

ルカによる福音書15章11~24節

「キリスト教の神さまは、どんな神さまですか」と、よく聞かれます。キリスト教の信仰を要約して言い表している「使徒信条」という教会の一番古い信仰告白があります。ここでキリスト者は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白します。それは、主イエスが、弟子たちの求めに応じて「祈るときには、こう言いなさい。“父よ、御名が崇められますように”(ルカによる福音書11章2節)」と、教えられたことに由来しています。

 また、使徒パウロは、“アッバ、父よ”と叫ぶことが出来ると言いました。これは、私たちが、キリストを信じるとき、全能の神さまを、親しく「父」と呼べることなのです。

では、主イエスが示された神さまの父親像はどんなものなのでしょうか。この父親像について、主はルカによる福音書15章11~24節のたとえ話で話されました。それは、父(神)に背を向け、父の許を離れ、ひたすらに自分の欲望だけに生きる放蕩息子(人間)に心を痛め、帰りを待っている父の姿です。わたしたち人間は、近代以降、このたとえ話の息子のように、神さまから出来るだけ離れ、ひたすらに自己増殖と利益を得ることを追求してきました。しかし、その結果、わたしたちの内と外の世界には、恐れや不安、怒りや憎しみがいつも湧き立つように潜んでいるのです。神さまは、そのようなわたしたちが罪に気付き、本心に返って立ち戻ることを、今日も待ち続けておられるのです。

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