わたしたちの負い目を赦してください

 

牧師 原田 多恵子

マタイによる福音書6章12節

 

「主の祈り」の五番目の祈りは、「我らに罪をおかす者を、我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」です。わたしたちは「罪をおかす者を」と祈りますが、「負い目のある者を」と訳したほうが、主の語られたアラム語に近いといわれます。「負い目」という言葉は、経済的な借金を表す言葉です。

この祈りで、わたしたちがしばしば立ち往生してしまうのは「負い目のある者を、我らが赦すごとく」という過去形で祈る部分です。わたしたちは、人に与えた傷や悪はすぐ忘れてしまうのに、人から受けた傷や悪はいつまでも覚えていて、そう簡単に赦すことが出来ません。

しかし主イエスは、あるときペトロに莫大な負債を赦された王の家来の話をされました(マタイによる福音書18章21~35)。家来は、王の憐れみによって、1万タラントンの借金を免除されました。1タラントンは6千デナリオン(1デナリオンは労働者の一日分の賃金)ですから、彼は、6千万デナリオンの借金を王から棒引きにしてもらったのです。ところが彼は、自分に100デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、「借金を返せ」と責めたて、懇願する相手を牢屋に入れてしまいました。王は、この家来を牢役人に引き渡しました。神さまは、私たちの莫大な負い目をイエス・キリストの故に赦してくださいました。わたしたちはこの祈りによって「恵みの証しを自分のうちに見出し、わたしたちの隣人を心から赦す者となるように、ひたすら努めるのです」(ハイデルベルク信仰問答)。

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