ほんとうの家族とは

牧師 原田多恵子

マタイによる福音書12章46~50節

最近驚かされたことですが、パキスタンでのラマダンの善行として、子どものいない夫婦に赤ちゃんがプレゼントされるという話題がありました。TV局が「平和と愛」というテーマに沿って、この夫婦と、赤ちゃんの両方を結び合わせたというわけです。方法はユニークですが、こういう形でも家族が出現したのです。家族というときわたしたちの殆どの人は、家族こそが生甲斐であり、自分を支えてくれる大きな存在であると答えるでしょう。

主イエスがガリラヤで宣教されているとき、主の母と兄弟たちが、話したいことがあって、外に立っていました。それに気が付いたある人が、そのことを知らせると、イエスは「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言われました。

この主の言葉は、一見、突き放したような響きがありますが、実は「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。“あの男は気が変になっている”といわれていたからである(マルコ福音書321)」という事情があったのです。このとき主は、「ベルゼブル論争(32030)」で、律法学者たちの主の敵から、激しい非難と攻撃を受けていました。このようなとき、一番心配して、あれこれ気遣うのは身内としての家族でありましょう。 でもこのとき主は「見なさい。‥だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言われたのでした。

わたしたちは、とかく問題を自分たちだけで処理しがちですが、主イエスは、神さまを信じ、御心を問いながら従う中で、眞の家族の姿があることを示されました。

私たちが教会に連なり、礼拝を守ることは、真の家族の形成の中心であり、証しでもあるのです。

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