自分の十字架を背負いなさい

 

牧師 原田 史郎

マルコによる福音書8章27~38節

 

 フィリポ・カイサリア地方に出掛けられたとき、主は弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と聞かれました。弟子たちは「洗礼者ヨハネ」「エリヤだ」という人々の評判を言いました(6章14~16節)。すると主は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになります。ペトロが「あなたは、メシアです」と答えました。ヘブル語の「メシア」とは、「油を注がれたもの」すなわち「救い主・救世主」のことで、ギリシャ語では「キリスト」です。

これを受けて「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた」のでした。だが、この苦難のメシア像は、栄光のメシア像を思い描いていたペトロには、到底受け入れ難いもので、彼は「イエスをわきにお連れして、いさめ始め」ました。イエスは、ペトロを叱って「サタン、引き下がれ」と言われました。ペトロがいさめたことは、十字架の苦難に歩み、わたしたちの罪を赦したもう神の救いを拒絶し、代わりに権勢と支配を得て、この世の栄華へと誘うサタンの道であったのです(マタイ福音書4章8~10節)。

そして主は「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と、語られました。主の時代の罪人は、自分の十字架を背負って刑場に赴きました。わたしたちは、主に従うが故に、自分に与えられる苦難やハンディといったわたしたちそれぞれの十字架を、この生涯が尽きるまで、担いたいものです。それによって、わたしたちは自分の命を救うことになるのです。

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