自分の十字架を背負いなさい

(3月8日の説教から)

牧師 原田 史郎

ルカによる福音書9章18~27節

  主イエスがひとりで祈られたあと、弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だというのか」と、尋ねられます。ペトロが「神のメシアです」と答えます。すると主イエスは、弟子たちに「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と言われました。これは、受難予言とか受難予告といわれるもので、主は、ご自身が十字架にかけられるまで、三回予言されました。

 この衝撃的な受難予告に驚いている弟子たちに、主は、さらに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と呼びかけられました。

「自分を捨てる」とは、神のみ前に、自分の利益や宝、自分の誇りを捨て、神を第一とする生き方です。自分の安全と安寧よりも神の御心や栄光が優先されることです。 そして、自分を捨てるということは、「自分の十字架を背負って、主に従う」ことでもあります。わたしたちは、誰もが何かの十字架をもっています。しかし、大切なことは、ただ重荷と苦しみとして、その解放を求めるだけではなく、その十字架を背負いながら、主に従って行くことなのです。何故なら「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのである」からです。

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