(十戒講解その4)「安息日を聖別しなさい」

(8月30日の説教から)

牧師 原田 史郎

出エジプト記20章1~11節

十戒の4番目の戒めは「安息日を心に留め、これを聖別せよ」です。今までの戒めが「~をしてはならない」という禁止でしたが、第4戒は、次の第5戒と共に「~しなさい」と肯定的です。

「安息日」は、第7番目の日で、土曜日になります。それ故、ユダヤ教では、土曜日に安息日の礼拝を守ります。これに対して、わたしたちキリスト教は、週の終りの土曜日ではなく、キリストが復活された週の初めの日曜日を安息日としています。この日こそ、聖書全体が証言している安息日の真の意味を現していると考えるからです。

何故、安息日を守らなければならないのでしょうか。申命記には「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさなければならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである(5章15節)」とあります。神さまはわたしたちに、この日「仕事もしてはならない(申命記5章12~14節、出エジプト記20章10節)」と仕事を休んで神の救いを覚えることを願っておられるのです。仕事を休む日は、一切の束縛と重荷から解放されます。不安や恐れから自由になって、神の救いを覚える日なのです。

さらに安息日は「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである(出エジプト記20章11節)」といわれます。安息日は、神がくださった祝福の日、聖なる日なのです。人間は、根拠がよく分からないままに、大安とか大吉を喜びます。

しかし、神さまはわたしたちに、キリストの復活という確かなものによって「安息日」という祝福の日、大安の日、大吉の日を与えてくださいました。ですからこの日を、ただ労働に疲れた体を休め、また労働に備える予備の日として使うのは、大いなる損失以外のなにものでもありません。祝福の日として、神の御前に集い、神の御言葉と聖礼典に与り、主を讃えることによって、魂も心も体も休め、新しくされることこそが大切です。「互いに愛と善行に励むように心がけ、集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう(ヘブライ人の手紙10章24~25節)」

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