「神は我々と共におられる」

(12月13日の説教から)

原田 多恵子 牧師

マタイによる福音書1章18~25節

 

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」 ユダヤでは、婚約は法律的にも結婚に等しい意味を持っていました。マリアが身ごもったことは、律法に厳格で正しい人であったヨセフには、赦せないことでしたが、彼女のことを思い「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」のでした。当時、姦淫は石打ちの処刑を受けたからです。

このようなとき、主の天使が「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と夢に現れて言いました。そして、生まれ出る男の子を「イエス」と名付けることと、その子が「自分の民を罪から救う」ことを告げました。

これは預言者イザヤの預言「見よ、おとめが身ごもって男の子を生み/その名をインマヌエルと呼ぶ(イザヤ書7章14節)」の成就であると言うのです。「インマヌエル」は「神は我々と共におられる」という意味です。ヨセフは、眠りから覚めると、マリアを妻に迎え、その子を天使の言ったように「イエス」と名付けました。(ヘブル語の「イェシュア」は救いの意味)

わたしたちも、悩みや困難に直面したとき、どうすれば良いのか分からなくなるときがあります。しかし、インマヌエルの主が、いつもわたしたちと共にいてくださることを信じて進むことが出来るのです。

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