主を待ち望む者は新たな力を得ん

原田 史郎 牧師 

イザヤ書40章27~31節 

 イザヤ書40章27から31節を読んで意外に思うことは、ここに何回も、疲れや弱さを嘆く言葉が出てくることです。新共同訳聖書の言葉では、倦む、疲れる、勢いを失う、つまずく、弱るといった言葉が繰り返し出てきます。希望を失いあきらめて、やる気を失った民の姿があるのです。すでにバビロンの捕囚生活は、四半世紀に及んでいました。

 しかしイザヤは、そういう人々に語りかけます。

「主に望みをおく人は新たな力を得

鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない」 

イザヤが「新たな力を得る」と語るとき、それは、あきらめや過去の罪責感や劣等感の鎖から解放されることです。キリストは、わたしたちを罪の縄目から解放して、新しい人として新生させて下さいました。「主に望みをおく人は」この古い自分をつないでいる鎖を外すことが出来るのです。新しい人とされ、新しい可能性に生きるのです。

さらに「新たな力を得る」のは、神ご自身からの力を、わたしたちが頂くということです。この力は、復活されたキリストが「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける(使徒言行録18節)」という神の霊の導きにより、神の働きに与る力です。神は、ご自身のご計画の中で、わたしたちのために最も良い計画と使命を用意しておられます。

 わたしたちの持っている力は弱く、それで現状を変えるにはあまりにも小さいかも知れません。しかし、「主に望みをおく人は」その祈りと歩みの中で「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」力を与えられるのです。

2016年を、希望をもって踏み出したいものです。

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