「生きた水を求めなさい」

(8月7日の説教から)

原田史郎 牧師

ヨハネによる福音書7章37~39節  

 仮庵の祭りの最後の日、主イエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と言われました。この祭りのときには、シロアムの池からくみ上げられた水が、祭壇に注がれました。それは荒野でマナと水を与えられ、神の守りによって導かれたことを思い起こす祭りでした。人の体の殆どが水であるために、人は水なしには生きていけません。そのようにわたしたちの魂にも「生きた水」が必要なのです。

聖書はこの水のことを「イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである」と書いています。それは神の聖なる霊であり、その霊がわたしたちの中にもたらす「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)」なのです。

今日、この世界は渇いて、紛争と不和、恐れと不安、相互不信に愛と潤いを失っています。わたしたちは、キリストが与えてくださる命の水をいただき、この世界に和解と平和が到来することを祈りつつ歩むのです。

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