「救いの時を待ちつつ」

(12月11日(日)の説教から)

牧師 原田史郎

 マタイによる福音書1章18~25節

婚約していたマリアが身ごもったことは、夫ヨセフにとって衝撃的な出来ごとであったでしょう。思い悩むヨセに、神さまは、夢の中で「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と告げられました。そして「その子をイエスと名付けなさい」と命じられます。「イエス」という名前は、「彼は救うであろう」という意味があり、生まれる男の子の働きは「自分の民を罪から救うからである」からであります。更に主は、「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」と、旧約時代のイザヤが、スリヤ・エフライム戦争でアハズ王に語った預言(イザヤ書7章14節)を、来るべきメシアであるキリスト預言として語ります。「インマヌエル(神が共におられる)」という意味は、永遠の神さまが、この地上の、有限で悩み多い罪びとであるわたしたちに寄り添い、共に歩んでくださる決心をなさったということなのです。「ゴドーを待ちながら」というベッケットの劇があります。わたしたちも主イエスの到来をひたすらに待つのです。

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