「暗闇に住む民は光を見る」

1月22日(日)

牧師 原田 史郎

マタイによる福音書4章12~17節

 「イエスは、ヨハネが捕えられたと聞き、ガリラヤに退かれた」 ガリラヤは、ヨハネを捕えたヘロデ・アンティパスの統治下にあり、主にとっても安全なところではありません。だがガリラヤに行かれたことには意味がありました。ナザレの家族や親戚を離れた主は、ただ神のみを信じ 単身「ゼブルンとナフタリ地方(北ガリラヤ)にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」のでした。そこは、かつてイザヤが「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、かなたの地、異邦人のガリラヤ(イザヤ書8章23節)」と預言した地です。ガリラヤは紀元前8世紀、アッスリアによって強制移住されて以来、多民族の入植が繰り返されて、エルサレムを中心としたユダヤ人から見れば正統なユダヤ人とは呼べない「異邦人のガリラヤ」であって、蔑視の目を持って見られていました。

 しかし主イエスは、神殿のある首都エルサレムではなく、この異邦人のガリラヤに赴き、そこに住まわれたのでした。それは「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝いた(同9章1節)」という預言が成就するためでした。「光」は、ミドラシュなどのユダヤ文学では、しばしば「メシア(キリスト)」を表現するときに使われました。メシアであるイエスは、今、最も救いに遠いと思われた異教神をも混在する暗闇の民、死の陰の地に住む者たちの真ん中に光として来られたのです。

 「そのときから、イエスは、「『悔い改めよ、天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」 天の国は、わたしたちの状態や状況によって動かされません。天の国は、主イエスの方から、暗闇と死の陰にあるわたしたちに近づいて来るのです。この訪れを心に受け止め、方向転換して神に立ち帰る者となりたいものです。

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