「ソロモンの知恵にまさるもの」

4月30日

牧師 原田史郎

マタイによる福音書12章38~42節

 主イエスのところに、律法学者とファリサイ派の人々が「先生、しるしを見せてください」と言いました。彼らが求めた「しるし」は、イエスがメシア(キリスト)であることの、誰もが異論を挟めない客観的な証拠の提示です。

しかし主は、彼らの求めを拒否され「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と答えられました。しるしを求めることは、有限な人間が、人間を遥かに超える超越者をわたしたちの評価の対象にする驕り以外の何物でもないのです。それにも拘わらず、主はヨナのしるしのあることを明らかにされました。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」ヨナに起こったことは、イエスに起こった十字架と復活の予兆であったのです。

主はさらに南の国の女王が、ソロモンの知恵をきくために彼のところに来た旧約の事例を挙げました。彼女はソロモンの知恵にふれ「聞いていたことは、本当のことでした(列王記上10章6節)」と王をたたえました。

今、わたしたちの前には「ここに、ヨナにまさるものがある」また「ここに、ソロモンにまさるものがある」と言われる主イエスが立っておられます。しるしを求めるのではなく、求道者のように主とその御言葉に向き合い、わたしの主、わたしへの言葉として受け止め、従うことが大切なのです。

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