「イエスは復活また命」

5月7日

牧師 原田史郎

ヨハネによる福音書11章17~27節   

 主イエスがベタニアに到着したとき、ラザロは既に墓に葬られ4日もたっていました。迎えに出たマルタは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と彼女の胸の内に溜まっていた思いを主に吐露します。主にラザロの危篤を知らせてから、もう6日もたっていたからです。

主が「あなたの兄弟は復活する」と言われるとマルタは、ただちに「終わりの日の復活のときに復活することは存じております」と応答しました。ここにマルタの信仰が表されていますが、主はさらに「わたしは復活であり、命である」と言われます。これは、敬虔なユダヤ人がもっていた一般的な復活の信仰のレベルに止まらないで「主御自身が復活である」ことを信じるように求められたのです。そのとき「わたしを信じる者は、死んでも生きる」のです。「死んでも生きる」とは、滅びないで、キリストの与えてくださった永遠の命に生かされる、ということです。死は、人間にとって避け難い最終地点です。そこで幕が下りれば、すべてが終わり、魂は滅びます。

しかし、「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と主イエスは言われました。主はなおも「このことを信じるか」と問われます。緊迫したこの問答の中で、マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と、決然として答えました。それはまた、わたしたちの信仰告白でもあるのです。

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