「今は悔い改めるとき」

6月18日

牧師 原田史郎

使徒言行録17章22~34節

アテネに入ったパウロは、至る所に偶像があることに憤慨しました。憤慨しながらも「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえみつけたからです」と彼らの信仰の篤いことを認めます。アテネは、古代世界の芸術文化、学問の最高学府ですが、霊的には迷信も多い暗黒の町でした。

そこでパウロは、彼らが知らずに拝んでいる神について話し出します。その神は「世界とその中の万物とを造られた神」であり「すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださる」神であることを語ります。そして「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということ」であると言います。神から遠く離れていないならば、もはや偶像などに心奪われず、真の神に立ち帰るべき時が来ているのです。「神は、このような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます」。この「悔い改め」は、生き方を方向転換することです。神に背を向けていた者が、方向転換して、神に向き合って生きるように変わるのです。

先週、教団社会委員会のフィールドワークで、福島・会津放射能情報センターと、そこから海岸沿いに国道6号線を北上し、無人の浪江伝道所と小高教会を経て仙台の東北教区・放射能問題対策室「いずみ」を訪れました。避難解除が出されているものの、放射線量は一般人の安全基準とされる年間1ミリシーベルトを越えていて、特にこどもをもっているお母さんたちの不安に触れました。神を無視し、経済優先で成長と豊かさを追求してきたその付けを見た思いです。現代の偶像から方向転換する時がここにも来ているのです。わたしたちにも悔い改めが迫られているのです。

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