「生涯のささげもの」

7月2日

  牧師 原田史郎

コリントの信徒への手紙二 8章1~15節

エルサレム教会の困窮に対して、パウロは異邦人教会に支援の献金を訴えました。コリント教会との信頼関係が回復したため、使徒は彼らの協力を改めて訴えます。そのとき、パウロはマケドニア州の教会(フィリピ、テサロニケ、ベレヤ等)の証しから語り始めます。「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさになったということです」

例えば、テサロニケでは、パウロも激しい反対を受けました(使徒言行録17章5~7節)。また彼らは「極度の貧しさ」の教会であり、常識的に考えれば、「底をつく貧しさ(詳訳聖書)」の中で、他者を支援する「慈善の業(カリス)」として、献金するほどの余裕などはなかった筈です。

しかし、彼らは「まず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げた」のでした。わたしたちは、どうしてもまず自分の手持ちのものから考えます。その決まった枠の中から献金したり、人を助けたりするのには葛藤があるでしょう。しかし、手元から目を離して、主を見上げて主を信頼するとき、その喜びはあふれ出る献げものとなるのです。

何故なら、「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。そ

れは主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」からなのです。主の貧しさこそ、わたしたちへの「慈善の業(カリス)」であり「あふれ出て、人に惜しまず施す豊かさ」であったのです。

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