キリストの霊

5月6日 

牧師  梁 在哲

ヨハネによる福音書 第16章12~24節    

主イエスより遣わされて弟子たちの心を照らして導かれた真理の霊、弁護者は今も教会の中で「キリストの霊」として私たちの側で協力者として同じくお働きになり、主イエスの御言葉が私たちに改めて新しいものとして明らかにされるように助けてくださる。ヨハネによる福音書はこの「キリストの霊」が教会の中でお働きになることを一貫して証している故に「霊的福音書」と呼ばれているし、その意味において私たちも主日礼拝毎に与えられる聖書の御言葉を繰り返して新たな思いをもって聞かせて頂くのである。

主イエスは弟子たちに「信仰の順路」即ち、聖霊の御助けによる「従順と愛と喜び」をお示しになったが、彼らの前に迫害という難関が立ちはだかっていた。どこへ向けて行くべきかを分からなくて途方に暮れている弟子たちのため主イエスは真理の霊でおられる弁護者(保恵師・協力者・ヘルパー・カウンセラー)をお遣わしになるお約束を言われた。主イエスはこの弁護者こそ、御子イエスと御父に従順になられて道しるべとして弟子たちを導いて真理をことごとく悟らせ、自分から語るのではなく聞いたことを語り、これから起こることを告げて全ての栄光を主イエスに与える「真理の霊」であることを明らかにされた。

これらのことを告げられた主イエスはご自分の復活に伴う「お祈りの喜び」を言われた。弟子たちが主イエスの御名に通して捧げるお祈りを御父はお聞きになり、御名によってお応えになるものである。以前、人々は祭司長を通して神の御前に進むことが許されたが今は主イエスを信じる者は誰でも主の御名によって神の御前に進むことが許されている。それは単なる良い人柄でもなければ、行いでもなく、只、主イエスの執り成しの祈りによるものである。使徒パウロは誰でも主イエスに結ばれて神の霊によって導かれる者は皆「神の子」であり、神を「アッバ父よ」と呼ぶことが出来ると、明らかにした(ローマ8:14-15)。その神の霊とは「キリストの霊」であり、御子イエスを死者の中から復活させられた方の霊である。

今も、主イエスは弟子たちに、また、私たちに「願いなさい」と言われる。それはただ一回だけの願いではなくて礼拝毎に死人の内よりよみがえられた主イエスに再び出会って得られる喜びを持って「絶えず祈りなさい」と言うことである。その喜びは、そのお祈りがかなわれるにつれて徐々に満たされるものではないだろうか。私たちはご復活の主イエスに出会う喜びを持って「キリストの霊」に導かれるように絶えず祈りつつ、「キリストの喜び」に満たされつつある信仰の歩みを歩んで行きたいと願うのである。

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