キリストの戒め

7月1日

 牧師  梁 在哲

マルコによる福音書 第8章14~21節

 主イエスはガリラヤで耳が聞こえず舌が回らない者や悪霊に取りつかれていた人々を癒して下さったが、ファリサイ派の人々は全てのことをことごとく拒んで天からのしるしを求め、議論をしかけた。彼らは主イエスが悪霊のかしらの力を借りて悪霊を追い払ったと、言いかかりをつけて主イエスを試そうとして地上のしるしではなく天からのしるしを求めたのである。主イエスは心の中で深く嘆かれて彼らをそのままにして、また船に乗って向こう岸へ行かれた。どころが、船の中で弟子たちは「一つのパンしか持ち合わせていなかった」ことに気づいて彼らがそのことで心配している際、主イエスは「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい。」と戒められた。

ほんのわずかなパン種だけで大きなパン生地を膨らませるように、宗教指導者たちの誤った教えと偽善が人々を誤った道のほうに導いてしまう危険性を主イエスは弟子たちに警告されたのである。しかし、弟子たちは主イエスの戒めとはうらはらに「自分たちにパンがないのにどうやってファリサイ派の人々とヘロデ派のパン種のため危険にさらされるのだろうか。」と、疑問に思い、論じ合っていた。その様子は、うっかりしてパンを持って来るのを忘れたことだけに自分たちを責めながら窮乏の中で右往左往している、まさに貧乏暇なしのようなものであった。ご自分のお働きと本当のお姿に気づいていないまま、慌てている弟子たちの様子をご覧になって主イエスは彼らをお叱りになった。それは弟子たちの鈍い心と真理を目の当たりしてもそれをわきまえる霊的な目と耳をもっていないことであった。

主イエスは、再びお問いをおかけになった。それは以前の奇跡のしるし、即ち五つのパンと七つのパンをもって人々に食べ物をお与えになった奇跡の出来事のことを弟子たちが思い起こすように願っておられるものであった。主イエスご自身、弟子たちに弁護者として来られる聖霊のお働きについて次のように約束された。「しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたに全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ1426)宗教改革者カルヴァンは、信仰についてこう証した。「信仰は、我々の心の中に神の恵みを大事に抱いていることだから、もし我々がそれを忘れた時、我々の信仰は眠っているのである。」

最後に、主イエスは「まだ悟らないのか」と、再び問いをかけられる。それは主イエスの厳しいお叱りであり、またご約束への望みを見出せるようにかけられるお声である。私たちも目はあるが見えないで、耳はあるが聞けない、心の鈍くて頑なな者、眠っている者になり勝ちのもろい者であるが、主日礼拝と聖餐式において目を覚めて眠らないように、頑なな心にならように、鈍い心にならないように、そして父なる神の恵み、御子イエス・キリストの十字架とご復活の恵みを思い起こさせてくださるように、聖霊の御助けを絶えずに、根気よく祈り続ける群れでありたいと願うのである。

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