キリストの平和

8月5日

牧師  梁 在哲

ヨハネによる福音書 14章15~27節

主イエスは聖霊のお働きによって与えられる平和を約束してくださった。「私は平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。」(1427)世の中では様々な平和のプロセスが議論されているが、主イエスが約束してくださった平和のプロセスは、何の心配も争いや戦争もないような話しだけではなくて、人知を遥かに超える「キリストの平和」である。それは罪の奴隷となって神に背いて味方どころか神と敵対し、仇になっていた私たちを、神は御子の十字架の血潮の贖いによって罪の奴隷から解き放ってくださり、御子のご復活を通して神の御前で正しい者と立たせて頂くようになり、義とされて神と和解させて頂くようになる平和のプロセスである。(ローマ510

だから使徒パウロは「キリストの平和」をこう証した。「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており」(ローマ51)また、主イエス御自ら約束してくださった聖霊のお働きによって得られる「キリストの平和」をもこう証した。「神の国は飲み食いではなく聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」(ローマ1417)まだ主イエスを知らなくて偶像崇拝に陥っている人も世の中が正しい秩序に保たれて平穏な日常の中で喜んで暮らすことを願っている。その意味において彼らも義と平和と喜びを望んでいると言えるが、例えその望みが叶わなくなると彼らは挫折してしまうのである。もし、私たちが、ただ自分と身内の救いだけを望んでいるのであれば私たちは世の中で最も惨めな者ではないだろうか。

何故ならば、私たちには主イエスを救い主として信じて救われた者として聖霊のお働きによって主にある「義と平和と喜び」が与えられているゆえに心を騒がすことなく、おびえることなく、挫折している彼らを救うことが託されているからである。そのような教会の様子を聖書はこう伝えている。「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け基礎が固まって発展し信者の数が増えていった。」(使徒931) 平和の王として世に来られた主イエスは、平和の福音を宣べ伝えられて、御自ら十字架の犠牲とご復活を通して平和を成し遂げてくださったのである。私たちは復活なさった主イエスより与えられる聖霊の御助けによって世の人々の救いのために遣わされて「キリストの平和」を宣べ伝える群れであり続けたいと切に願うのである。「キリストの名」は、その名を呼び求める者たちを捕らえて滅ぼしていた、サウロをお赦しになる「十字架の力」であり、バルナバとアナニアを通して「キリストの名」を伝えるために御自らお選びになった器としてパウロを立ち上がらせてくださる「ご復活の力」である。(使徒言行録914-15211126) 主イエスはご自分の名を受け入れる者は必ず報いを受けると言われたが、真の報いは良い行いや功によるものではなくて、御父が御子の名-「キリストの名」-によってお遣わしになる弁護者-聖霊-の御助け(ヨハネ1426)によって私たちの名が天の国の「命の書」に書き記される喜びである。私たちは「キリストの名」によって赦されて、また立ち上がらせてくださった者として「キリストの名」が告げ知らされる「福音の前進」の喜びと、私たちの名が天の国の「命の書」に書き記される喜びを切に願うのである。

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