天の国の宴

11月4日

牧師 梁 在哲 

ルカによる福音書14章15~24節

主イエスは町や村を巡って教えながらエルサレムに向かって進んでおられたが、その道は悪霊を追い出し、病気を癒しながら進められたものであった。ある安息日に主イエスはファリサイ派の議員から食事の招待を受けられた。ところが食事を共にしていた客の一人が自分とファリサイ派の仲間たちは、神の国の宴会の席に着く幸いを味わえるのは当然ではないかと、思い込んで主イエスに問いをかけた。しかし、主イエスはある盛大な宴会の例え話しを用いられて彼らの思い込みを容赦なく破られた。

当時の慣習によれば宴会を開く際、二回にわたって人を招いて、最初は宴会が開かれることを知らせるもので、二回目は招かれた全ての人にもう用意が出来たのでおいでくださいと、いう知らせであった。ところが、二回目の招きの知らせを聞いた人々は皆口を揃えて断ってその言い訳は非常に乏しいものであった。

結局、僕から人々の断りの始末を告げられた家の主人は激しく怒った。当時の社会においてそれは単純に約束違反にとどまる問題ではなくて、相手の人格を侮辱するようなことだったからである。主イエスは最後にご自分を家の主人に例えて言われる。「言って置くが、あの招かれた人たちの中で私の食事を味わう者は一人もいない」(24節)。父なる神はモ-セと預言者たちを通して、そして次のお招きを御子なる主イエスを通してイスラエルの民にお与えになられた。

ところが、ユダヤの宗教指導者たちは自分たちこそ、神に選ばれた民だと、堅く信じて父なる神の独り子主イエスを拒んで、結局、彼らは御子なる主イエスのお招きを拒んだゆえに、天の国の宴に招かれる機会を失われるようになった。家の主人が僕を町に送って疎外されていた者たちを自分の宴会に招いたように、父なる神は苦しみの中にいる人々にご自分の独り子主イエスをお遣わしになり、彼らのために、既に「天の国の宴」は用意されていることを言われたのである。私たちは「この家を一いっぱいにしてくれ」と、言われる父なる神の約束のお言葉に励まされつつ、人より招かれることに慣れてないこの世‐「町の外の通りや小道」‐の人びとに「もう用意が出来ましたから、おいで下さい」と、語りかけてくださる主イエスの「天の国の宴」への招きのお言葉を伝え続けて行く者でありたいと願うのである。

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