相続されない救い

11月11日

牧師 梁 在哲 

ルカによる福音書3章1~14節

神は99歳のアブラハムを再びをお訪ねになり、彼を祝福して下さった上で来年の今頃、妻サラが男の子イサクを産んでご自身はイサクと彼の子孫のために永遠の契約をお立てになることを約束された。神はイサクが他の兄弟たちより優れていたから彼をお選びになった訳ではなくてイサクが生まれる前から彼を既にお選びになった。神の自由なお選びについて使徒パウロはこう証した。『すなわち、肉による子供が神の子孫なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と看做されるのです。約束の言葉は「来年今頃に私は来る。そしてサラには男の子が生まれる」というものでした』(ローマ9:8‐9)。パウロはアブラハムの肉の子孫であるユダヤ人たちが必ずしも「約束の子孫」と看做されるとは限らないし、救いは相続されないことを明らかにして、主イエスを信じる信仰のみによって約束の子孫となり、「霊的なアブラハムの子孫」と、なることを証したのである。

 そして神は人間の姿でそれも三人の旅人の姿で再びマムレの樫の木の所のアブラハムに現われた。アブラハムは到る所で井戸を掘って木を植え、通り過ぎる旅人たちのために憩いの場所を与えて、そこで彼らが唯一の神の御名を呼ぶようにしたのである。割礼を受けたばかりのアブラハムは三人の旅人が自分に向かって立っていることに気づき、天幕の入り口から急いで、早く、走り出て迎え、地に伏して(2節・6節)、神に仕えるごとく旅人をもてなすことによって神に栄光を帰したのである。その後、アブラハムは三人の旅人に真心のもてなしと共に次のようにお願いをした。「お客様、よろしければどうか僕のもとを通り過ぎないで下さい」(3節)。真心と力を尽くして自分の所にとまるように願っていたアブラハムの一言は、旅人を立ち止まれるようにした「信仰のお声」ではないだろうか。

それは旅人、否神を「では、お言葉通りにしましょう」(5節)。と返事するようにしたものであった。ついに訪問客が自分の正体を明らかにしたのは食事が終わった頃で、神は来年の今頃にはサラには必ず男の子が生まれることをも再び約束された(10節)。アブラハムは75歳の時、自分と自分の子孫へ神のご約束を堅く信じて生まれ故郷ハランを離れたが、彼が神の御前で正しい者とされたのは、神のご約束を信じる「信仰による」ものであった。私たちは主イエスの十字架とご復活を信じる信仰によって「神の民」と許されているが、信仰の父、アブラハムの信仰の模範に倣って主イエスのご約束‐「私は世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)。‐を信じつつ、いまだに主イエスを知らない人々のために「主よ、どうか彼らを通り過ぎないでください。」と、信仰のお声をあげて、執り成しの祈りを捧げ続けたいと切に願うのである。

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