神の栄光を悟る光

12月23日

牧師 梁 在哲

マタイによる福音書2章1~12節

福音書は救い主イエスのご誕生の次第と、東の国から都エルサレムまで幼子主イエスを訪ねて来た博士たちの旅について語りかけている。博士たちは星のしるべに辿り着く旅を続けたが、ついにあの星が幼子主イエスのいる場所の上に止まった。その光景を預言者イザヤはこう預言した。「あなたを照す光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く」(イザヤ601)。博士たちの喜びは、星の導きによって幼子主イエスのもとへと導かれて御顔の輝きの光を仰いだことによるものであった。父なる神は幼子主イエスの御顔に輝く光を通して「ご自分の栄光を悟る光」を異邦人の博士たちにも照らして下さった。それゆえ、彼らは喜びに溢れひれ伏して黄金、乳香、没薬を捧げ、幼子主イエスを拝んだのである。

「光あれ」と、御言葉をもって天地をお造りになられた父なる神は、幼子主イエスの御顔の輝きを通して博士たちに照らされた「ご自分の栄光を悟る光」を私たちにも聖霊の御助けによって照らしてくださるのである。使徒パウロはその光をこう証した。『「闇から光が耀き出よ」と命じられた神は私たちの心の内に輝いてイエス・キリストの御顔に輝く「神の栄光を悟る光」を与えて下さいました』(コリントⅡ46)。しかし父なる神の栄光は必ず御子イエス・キリストの受難を通して現れることを聖書は証している。御子イエス・キリストの受難は、ヘロデ王の迫害と殺意から逃れて行く道から十字架への道に至るまでのものであり、父なる神の栄光は御子イエス・キリストの受難と復活を通して輝かしいものとして現れるのである。

御子イエス・キリストの受難とご復活を通して現れる父なる神の栄光は悩み、悲しみ、苦しみの中に置かれている世の人々の心にも光を照らしてくださるゆえに、それはこのクリスマスの時、私たちに与えられる大きな慰めではないだろうか。ところが、東方の博士たちに、また私たちの心の内に照らして下さったその光が、世の人々には見えないように暗闇の力は人々の心の目をくらまして「主イエスの良い知らせの光」を遮っていることを聖書は証している(コリントⅡ44)。私たちは「神の栄光を悟る光」に照らされている者として疑いや痛み、悩み、苦しみにさらされている世の人々の心の内にも御子イエス・キリストの御顔の輝きを通して父なる「神の栄光を悟る光」が照らされるように切に願うのである。

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