山上の大命令

6月2日

牧師 梁 在哲

マタイによる福音書28章16~20節

「十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示したおかれた山に登った(16節)」。そこは、以前主イエスが祈られた所であり、ペトロとヤコブとヨハネの目の前でその姿が変わり「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」(マルコ9:3)場所であった。弟子たちはついに現れた主イエスにお目にかかり、ひれ伏しながらもある者は疑っていた。ところが、主イエスはそのような弟子たちの疑いを晴らすために、御自ら近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(18節)。その権能は、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であられた御子主イエスを父なる神が高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになり、天上のもの、地上のもの、地下のものが全て、御子の御名にひざまずくように授けてくださったものである。

ここで主イエスは父なる神より授けられたその権能に基づいて弟子たちに命じられる。「だから、あなたがたは行って、全ての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」、と(19~20節)。宗教改革者カルヴァンは「真の教会は御言葉が正しく宣べ伝えられ、聖礼典が正しく執り行われるところである」と述べた。真の教会は正に主イエスのご命令に基づいたものであり、全ての民を弟子(Disciple、信徒)にし、創造主なる御父と贖い主なる御子と慰め主なる聖霊によって洗礼を授け、彼らを信仰によって主イエスの命令に従順であるように教えるところである。

主イエスは最後に言われた。「わたしは、世の終りまでいつもあなたがたと共にいる」(20節)。口語訳では「見よ」が前に出て来る。それは「わたしを見届けなさい」という意味を持って、「以前よりもっとご自分に近寄って来なさい」と、呼びかける心強いお声である。何故ならば、それは弟子たちがご自分の命令に従順で、福音伝道を全うする時、いつも共におられ、指導者としての力をお与えになるからである。主イエスの山上の大命令は、弟子たちだけではなくて主イエスに従う全ての人々に命じられるものである。主イエスの命令に従順で、授けられた全ての権能を携えて力を尽くす全ての弟子たちに与えられるお約束である。主イエスの大命令に答えるために私たちは人間の心を支配している悪の力に勝利された主イエスに自分の存在の全てを捧げ従い、御言葉にひたすら心と耳を傾けて行きたいと願う。

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