真夜中の讃美と祈り

6月26日の説教

梁在哲牧師

 

サムエル記上16章14~23節     使徒言行録16章25~34節節

使徒パウロは、トロアスでマケドニア人の幻を見て、小アジア伝道を諦め、ヨ-ロッパのマケドニアに向かった。一行は最初の伝道地フィリピで紫布を商うリディアという婦人に出会い、洗礼を授け、また、占いの霊に取りつかれていた女奴隷を癒した。しかし、女奴隷の主人は、金儲けの望みがなくなり、非常に怒ってパウロの一行を訴え、パウロとシラスは、投獄された。パウロは、自分がローマ市民権を持っていることを言わなかった。しかし、その結果、獄中で新たな伝道の道が開かれた。その始まりは、真夜中の牢屋の中で他の囚人たちにも聞き入れられた二人の讃美と祈りであった(25節)。その時、突然の大地震が起こり、看守は牢屋の戸が開いたことに驚き、絶望に陥って極端な行動を取ろうとした。しかし、二人の人格に触れた彼は、再び驚き、震えながらひれ伏し、救いの道を尋ねた(26~30節)。

彼は二人から「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言われた時、全ての不思議な出来事の根源は、主イエスにあることを知り、まだ真夜中であったが、自分も家族の者も皆、洗礼を受けた。その後、出された食事は、単なる愛餐ではなかった。それは、洗礼を受けた者のみがあずかる信仰に起源する恵みの食事であるから、聖餐に他ならない。その時、家族ともどもの喜びは、「神の家族」と数えられる恵みに全存在をあげて表したのではないだろうか(31~34節)。パウロとシラスは、苦難の牢屋の中に入れられても主イエスに従う者として真夜中に讃美の歌を歌って神に祈り続けた。二人は、永遠なる神に起源する無限の希望は、失われないことを確信していたからである。真夜中に歌われ、捧げられた二人の讃美と祈りは、救いをもたらした。この地上の旅路においてたとえ、真夜中のような時が訪れてもわたしたちは、尽きせぬ望みの源でおられる主イエスに全てを委ね、讃美しつつ、祈り続ける者でありたいと願う。

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