新たな回復へと導かれる民

5月28日説教

梁在哲牧師

 

創世記11章1~9節     使徒言行録2章1~11節

復活なさった主イエスより、「都エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束された聖霊を待ちなさい」と、命じられた弟子たちは、五旬祭の日に主の復活を記念するために集まっていた。(使徒1:4・2:1)。日頃、主イエスは、「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と、言われた(ルカ11:13)。詩編の記者も主なる神の霊の助けを切実に祈り求めた(詩編146:3~5)。ついに「一同は、聖霊に満たされ、"霊 "が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:4)。聖霊に満たされた彼らが話し出した「ほかの国々の言葉」は、解釈を必要とする異言のようなものではなく、エルサレムに集まって来た人々の生まれた故郷の言葉であった(2:8)。自分たちの故郷の言葉がガリラヤ出身の弟子たちによって話されているのを聞いていた人々は、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と驚き、戸惑いを隠せなかった(2:11~12)。

聖霊に満たされた弟子たちが「ほかの国々の言葉」で語っていた「神の偉大な業」は、御子イエスを通して父なる神が成し遂げられた「偉大な御救いの業」に他ならない。主イエスは、天に昇られる前に11人の弟子たちに、「全世界に行って全てのものに福音を宣べ伝えなさい」と命じられた。そして彼ら「信じる者には、ご自分の御名にとって悪霊を追い出し、新しい言葉を語るしるしが伴う」と、言われた(マルコ16:14~17)。バベル塔の出来事以来、国々の言葉が生じ、人々は、全地に散らされた(創世記7:4~9)。そして五旬祭の時、集まって聖霊に満たされた者が神の偉大な業を「新しい言葉」で地の果てに至るまで語り始めたのである。

ところが、同じ言葉であっても、頑なな心のゆえに、相手の語りに耳を傾けず、対立や混乱が生じる一方、言葉を借りることなく、以心伝心また、あうんの呼吸によって心から心に伝えられる。五旬祭のとき、聖霊に満たされた者は皆、「新しい言葉」を語り始め、対立や葛藤、また分裂と混乱から「新たな回復へと導かれる」ようになったのではなかろうか。今日、福音を拒み、抵抗する力に阻まれてもわたしたちは、主イエス・キリストが既にそのような力に勝利をおさめられたゆえに、福音伝道の戦いに挑むことが出来る。そして、「新しい言葉」をもって父なる神が御子イエス・キリストを通して成し遂げられた御救いの業、即ち、「神の偉大な業」を語り続け、全世界が「新たな回復へ導かれる」ように切に祈り、願う。

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