10月のメッセージ「主の御手とお教え」 2018年10月1日 南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル) 使徒言行録13章1~12節 日本プロテスタント教会は2009年、宣教150周年という節目の年を迎えるようになったが、極東のアジアの国まで主イエスの福音が伝えられたそのルーツは、現在シリアの北部にあったアンティオキア教会まで遡ることが出来るのである。ステファノの殉教をきっかけにして起った厳しい迫害のために散らされた人々はアンティオキアまで逃れてそこで主イエスを信じる者たちは、初めて「キリスト者」と呼ばれるようになった。当時アンティオキア教会は多様な人種や身分の人々が集まっていたが、その中で特にバルナバとパウロを聖霊の御導きによって選出して、断食とお祈りをもって按手をして異邦人への宣教のために派遣したのである。(2~3節) バルナバとパウロの最初の宣教地は、アンティオキアから海を挟んであったキプロス島であった。そこでその地方の総督セルギウス・パウルスが、主イエスを信じようとすることを妨害していた魔術師エリマにパウロは「あらゆる偽りと欺きに満ちた者」(10節)と、厳しく責めて主の御手の裁きを代言した。聖書は、パウロを通してお働きになる主の御手とお教えを目の当たりにした総督が「信仰に入った」(12節)と伝えている。結局、魔術師エリマの目は見えなくなって総督の霊的な目が開かれるようになったのである。総督セルギウス・パウルスは驚くべき主の御手の出来事の前に、また主イエス・キリストの福音のお教えに触れて驚嘆して信仰に入るようになったのである。 キリスト者はしばしば一つの区間を走り切る駅伝の走者に例えられる。何故ならば信仰の一つの区間を走り切る上で歴史の中でお働きになる御救いのご計画を知るようになるからである。私たちも「主の御手とお教え」の御恵みを通して御救いのご計画の一つの区間を走り抜くことが許されているのである。一つの地域教会であったアンティオキア教会が、異邦人宣教の業に励んだように私どもの南房教会も一つの地域教会として与えられている信仰の区間の走りを全うして、次世代の信仰のランナーに信仰のタスキを喜びとお祈りをもって渡す群れであり続けたいと切に願うのである。 |