7月のメッセージ「十分に整えられる者」 2019年7月7日 南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル) テモテへの手紙二3章10~17節 私どもの南房教会はイースター、クリスマス、特別伝道礼拝(夏・秋)、家族礼拝と子ども祝福式を信徒とご家族、ひかりの子学園の子ども・中高生と共に捧げる合同礼拝を試みにしている。この度、「夏の特別伝道合同礼拝」を通して多様な世代の礼拝者同士が出会い、主にあるよき交わりを体験し、「神の家族としての喜びと安定感」を分かち合うように聖霊の御助けを祈りつつ、キリストの体なる教会を造り上げてゆく思いを新たにしたのである。よき羊飼いでおられる主イエスが失われた一匹の羊を探し求め、見つけられ、優しい眼差しで担いで帰って来られるように若い中高生たちを、そして彼らが背負っている重荷や悩みを、主イエスご自身担ってくださり、父なる神のみもとに運んでくださることを私どもの南房教会は祈りつつ、合同礼拝を捧げたのである。聖書には、数多くの協力者同士が出て来て、たとえモーセとヨシュア、ダビデとヨナタン、エリヤとエリシャ、パウロとバルナバ、そして主イエスと12人の弟子たちがあげられる。 その中でやはり若い青少年たちには、パウロとテモテの関係が最も相応しいものではないだろうかと思われる。テモテという名前は「神を畏れ敬う」という意味であり、父親はギリシャ人、母エウニケと祖母ロイスは、ユダヤ人であった。ユダヤ人は5歳で両親から聖書を教わり、6歳からラビから学ぶように、テモテも幼い頃から家庭で母と祖母から聖書を教わった。小アジアのリストラ出身であるテモテは、パウロの第1次伝道旅行の際、悔い改めてパウロは「信仰によって生まれた、信仰の息子」と呼ぶほど彼を愛したのである。テモテへの手紙二は、再び投獄された使徒パウロがローマの監獄で書いた最後の手紙であり、自分の死を予見し、遺言のような書簡であった。テモテの故郷リストラで、人々はパウロとバルナバを神と崇めようとした。しかし、ユダヤ人たちがアンティオキアやイコニオンからやって来てパウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って町の外へ引きずり出したが、弟子たちに囲まれた時、パウロは起き上がった。その群れの中にテモテも一緒にいた。その出来事がきっかけで彼は悔い改め、パウロは第2次伝道旅行の折、リストラを再び訪れた際、テモテが信じる者の間で尊敬される弟子として知られていたので彼に同行するように願った(使徒16:2~3)。 テモテはパウロに同行するだけではなくて大事な務めにおいても代理人として働き、後にパウロの六つの手紙の共同著者となり、二つの手紙をパウロから受けるようになった(テモテⅠ・Ⅱ)。そしてパウロは自分の臨終が近づいたとき、「是非、急いで自分の所へ来てください」とテモテに願った。パウロは自分の苦難の体験をあげて模範を示し(10~13節)、テモテが聖書の教訓を堅く守り、教えることを指示し(14~17節)、聖書の権威について証した(15~17節)。パウロの願い通りにテモテは、立派な福音の伝道者となっていたのである。テモテがそのように揺れることなく信仰から離れず、勇気を保つことができたのは、「幼い日から聖書に親しんできた」(15節)からである。「聖書は神に仕えるテモテに善い業を行うことができるように、十分に整えてくださった」(17節)。今日、教会の合同礼拝において将来のテモテが共に座っている。代々の教会は、「幼い日から聖書に親しんできた」テモテのように、幼い子どもたちに聖書のことを伝え続け、それゆえ今も聖書は、「福音伝道に励んでゆく者に主イエスの愛の業を行うことができるように全ての準備を備えて、十分に整えてくださる」のである。 |