11月のメッセージ「真のサバイバー」

 

 201911月3日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

マルコによる福音書64552

千葉県や神奈川県などで甚大な被害が出た9月の15号台風と関東地方や甲信地方、東北地方などで記録的な豪雨災害をもたらした10月の台風19号の影響で家屋や建物、農業ハウスなどの破損や浸水は勿論、停電や断水などが長期化したことに加え、飛ばされた家屋などによる二次災害が発生した。また、15号台風が過ぎ去った後は、最高気温30度を超える暑さとなった他、物資の不足が続くなど深刻な影響が続出し、二重の苦しみにあうようになった。このような大きな自然災害の中を生きることは、様々な困難や労苦を伴うことを私たちはこの秋、改めて思うようになった。

 旧約聖書は、飢饉のためにエジプトに逃れたアブラムやヤコブとヨセフ、また干ばつの中の預言者エリヤやルツなどの人物を通して様々な困難や労苦を乗り越え、そのような自然災害の中を彼らがどう生きていたかについて伝えている。厳しい自然災害や状況に耐え忍んで生き残ることを「サバイバル」と言い、奇跡的に助かって生き延びた人は「サバイバー」とも言われる。

元東京神学大学学長でおられる近藤勝彦先生は、「私たちキリスト者こそ、皆サバイバーではないだろうか」と、述べられた。何故ならば、死ぬのが当然で、自分では死ぬほかなかったのに、キリストの十字架の犠牲によって神に赦され、生かされた私たちは、死の中を潜って不思議に生かされた者たちとなり、奇跡的に生き延びた者だからである。

新約聖書はもう一群れの「サバイバー」を私たちに伝えている。主イエスはお一人で祈られるために登られた山の上で、暴風と荒波の中を漕ぎ悩んでいる弟子たちをご覧になった。夜が明ける頃、主は困難に陥っている弟子たちのほうに湖の上を歩いて来られた(48節)。主は困難と労苦の中を漕ぎ悩んでいる私たちをもご覧になってその願いや必要を助けてくださるために近づいて来られる。

ところが、弟子たちは湖上を歩いて来られる主を見て幽霊だと思い、大声で叫んだ(49節)。主が共におられること、主のみ力を信じない限り、私たちも恐れの余り、怯えて叫びだけを繰り返す弱い者ではないだろうか。しかし、主は弟子たちに「安心しなさい。私だ。恐れることはない」(50節)と、短く言われた。彼らは恐れや不安、そして困難と労苦の中、主が共におられることに気づき、恐れは消えて心は穏やかになり、慰めが訪れたのである。

ある者は世の荒波の上で漕ぎ悩んでいる時、主ご自身私たちを助けてくださるために近づいて来られることを疑い拒んでいる。しかし、主はそのような者のために御自ら十字架の死の道へ進まれ、命を捨てて十字架の贖いの業を成し遂げてくださった。その犠牲のゆえに私たちは世の暴風と荒波で溺れて死ぬほかなかったのに生かされて「真のサバイバー」と言われるのではないだろうか。私たちは夜明け頃、主を舟に迎え入れた弟子たち(51節)のように「真のサバイバー」として主は死に打ち勝ち復活なさって共におられることを世の人々に宣べ続けたいと願うのである。

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