5月のメッセージ「御言葉によって遣わされる者」

202152

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

イザヤ書618節      エフェソの信徒への手紙1章:114

ウジヤ王の死後、人々の心が神から遠く離れていた時、預言者イザヤは、神殿で神を仰いでいた。その時イザヤは、「讃美を聞く」恵みにあずかるようになった。御座におられて全てのものを治められる神を讃美する歌声が聞えて来たからである。ところが、神の栄光を目の当りにして深い悩みに沈んでいたイザヤの口に神は、炭火を触れられ、清めてくださった。ついにイザヤは、「御言葉によって人をお遣わしになる神の恵み」にあずかり、神が共におられるのを目の当りにし、「わたしを遣わしてください」と答えた。

イザヤの如く、エフェソの信徒への手紙の記者も、三位一体の神を讃美している。彼は先ず、「御父の霊的な祝福」を讃美した。父なる神は、わたしたちを御子イエスにおいて「聖なる、汚れのない者、神の子」にしようとされた。それは、「神の恵みをわたしたちが褒め称えるため」であった。次に彼は、「御子の贖いの恵み」を讃美した。父なる神は、秘められたご計画をわたしたちに知らせてくださり、それは「あらゆるものが御子イエスのもとに一つにまとめられる」ことであり、わたしたちを天の国の相続者とされることである。それは、「神の栄光をわたしたちが褒め称えるため」であった。

最後に彼は、「聖霊の保証の恵み」を讃美した。聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、それによってわたしたちは、贖われ、神のものとなる。それは、「神の栄光をわたしたちが褒め称えるため」であった。父なる神は、この世を愛してくださり、御子なる神は、世に来られてご自分を惜しまなく捨てられ、聖霊なる神は、いつもわたしたちと共に居てくださる。父なる神の御恵みによって罪が赦され、清くされたわたしたちは、御子イエスの十字架と復活の証人として聖霊の御助けを求めつつ、「わたしをも遣わしてください」と答えたいと願う。

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