8月のメッセージ「御言葉にとどまる者」

2021年8月1日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ヨハネによる福音書8章31~38節

「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは、本当にわたしの弟子である。あなたたちは、真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(31~32節)。イエスは、「御言葉にとどまり続ける」ように求めつつ、真理でおられるご自身、人々を自由にしてくださると言われた。イエスは、御自ら十字架につけられ、罪と死の奴隷であった人々を生かす自由を生きられたからである。

哲学者パスカルは、御言葉にとどまることについて次のように述べた。「神の真理は、この地上にその故郷を持たない。御言葉が聞かれる時、それはただ、誤解され、ねじ曲げられるだけである。わたしたちの中に神の御言葉が根を下ろさず、教会の中に御言葉の故郷を見出せない。それを深く悲しむことによってわたしたちの心が広がり、悔い改めるようになる」と。

 「御言葉にとどまり続ける」ことは、わたしたちが主イエスの内にとどまると同時に、わたしたちの内に主イエスがおとどまりになることである。日本基督教団のある大先輩の牧師は、それについて「人間の肉体は、具体的であり、歴史的な世界に場所を占めている。その場所を主イエスが占め、支配されるのでなければならない。キリストが人間の心と体を一つにしてそれを支配されるそれこそが信仰の受肉である」と言われた。

わたしたちは、御言葉にとどまることによって罪と死のくさりから解き放たれ、「信仰の受肉」の恵みに励まされる。ご自分を十字架に捧げられ、わたしたちを罪と死の奴隷から解き放ち、この地上において人々を生かす自由を生きられた主イエス・キリストの御言葉にとどまりつつ、まことの弟子の道を全うする者でありたいと願う。

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