1月のメッセージ「真の礼拝者」

202219

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ヘブライ人への手紙11章1~6節     

インマヌエルとして来られた主イエスの御降誕を喜び祝いつつ、新しい主の年、2022年を迎えるこの時、一昨年から始まったコロナウイルス感染症パンデミック下において起きた出来事を振り返って見る。その中でヘブライ人への手紙の記者が宣言する信仰について耳を傾け、心を留めたい。手紙の記者は、全てにおいて神に信頼を置き、真の礼拝を捧げる者の信仰を宣言している。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブライ11:6)。真の礼拝者は、その信仰に基づき、全てにおいて神を信頼し、お委ねすることが許される。それゆえ、「真の礼拝者」にとって全ての出来事は、天地万物を創造された神の御手の中にあり、延いては、その悲しみや苦しみから閉塞感に至るまで全ては、神のご計画の中にあるものである。その意味において身の回りに起きる新たな出来事をも、わたしたちを「真の礼拝者」として立たせてくださる神の祝福として喜びをもって受け止めねばならない。

聖書は、神を信じる者が受けた様々な苦難こそ、神の祝福に繋がり、実を結ばれた出来事を証している。ヨセフは、訳の分からないまま死の直前まで追い込まれながらも、全てを乗り越え自分の家族と民族を救い出した(創世記45:5)。東方の義人であったヨブの苦難も、神の御前で「真の礼拝者」としてその実を豊かに結ばれた(ヨブ1:20~22)。今は、神のご計画を計り知れないかも知れない。しかし、全てにおいて神に信頼を置く「真の礼拝者」にとってその苦難は、神の祝福のご計画である。使徒パウロは、「真の礼拝者」として、「わたしは 確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い 所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物もわたしたちの主キリスト ·イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」と証した(ローマ8:38~39)。ただ信仰によってのみ、苦難を神の祝福として告白することが許される。主イエスによって示された神の愛から、わたしたちが引き離されない限り、苦難の歩みこそ、神ご自身成し遂げようとされる祝福の道であるからである。新しい主の年2022年のはじめにあたり、直面している様々な問題を、全てにおいて神のご計画の中にある祝福として感謝しつつ、新しい一歩を進みたいと願う。

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