9月のメッセージ「御もとに身を寄せる者、宿り人」

2023年9月3日

南房教会牧師 梁 在哲

 

「詩編39編13節」

「主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈默していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者、先祖と同じ宿り人」(詩編39:13)。

「主なる神は、ウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデは、その子のために神に願い求め、断食したが、七日目にその子は死んだ」(サムエル下12:15~18)。詩編39編は、ウリヤの妻が産んだその子が弱っていった時、ダビデの沈黙の祈りとして書かれたと言われる一方、息子アブサロムがダビデに謀反を起こした際、書かれたとも言われている(サムエル下15)。

それゆえ、ダビデは、「わたしは御もとに身を寄せる者、先祖と同じ宿り人」と告白し(詩編39:13)、この地上に足を踏んで生きながらもいつかは、地上を去り行かなければならない巡礼者として人生の空しさをこう告白した。「主よ、御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでもすべて空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくしだれの手に渡るとも知らずに積み上げる」と(39:6~7)。そして、その深い苦しみの中で主なる神にひれ伏し、回復の恵みを願いつつ、全ての望みを託した(39:8~14)。

聖書において、人間は様々なあだ名で呼ばれているが、その中で、代表的なものが旅人や巡礼者ではなかろうか。旅人は、しばらく留まった後、すぐ去り行く者であるがゆえに、いくら社会的な名誉や財産に恵まれても全ての人間は、この地上を離れなければならない時が訪れるからである。わたしたちは、聖霊に助けられ、父なる神の御もとに身を寄せる者、宿り人の証人として、御子イエス・キリストに全ての望みを託しつつ、地上の旅路を歩んで行きたいと祈り、願う。 

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