2月のメッセージ「脆くて弱い器の中の宝」

2024年2月4日

南房教会牧師 梁 在哲

 

士師記7章16節       コリントの信徒への手紙二4章7節

彼は三百人を三つの小隊に分け、全員に角笛と空の水がめを 持たせた。その水がめの中には松明を入れさせ(士師記7:16)

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために(コリントⅡ4:7)。

今年の四旬節(レント)は、2月14日(灰の水曜日)から復活日イ-スタ-

(3月31日)前日の土曜日(3月30日)に至る、日曜日を除く40日間となる。この受難節の時、わたしたちは、受難と栄光の主イエスの御姿を仰ぎつつ、福音伝道者として自分の弱さと栄光に思いを巡らしたい。

使徒パウロは、コリント教会宛に送った書簡の中で福音伝道者が常日頃兼ね備えなければならない二つの心構えについて証した。それは、落胆することなく、へりくだって自分の中におられるキリストをひたすら表わすことである。それゆえ、パウロは救われた者は、如何なる苦難や迫害にも落胆せず、自分を表わし、自慢することのないように強く勧めている。

どの時代においてもこの世は、わたしたちの願いや思いのままに進まないと思われる。それゆえ、自分の信仰を保ちながら歩むわたしたちに苦難と逆境は、つきものではなかろうか。しかし、主イエス・キリストは、そのようなわたしたちを愛し、見守ってくださるゆえにいつも共におられる。これこそ、わたしたちが落胆してはならない根拠であり、慰めではなかろうか。

パウロは、聖徒らは主イエス・キリストの良いお知らせ即ち、福音という宝を土の器に納めていると証した(コリントⅡ4:7)。それは、正に松明の光を隠したギデオンの水がめのようなものに他ならない(士師記7:16)。もろくて至らないわたしたちのような者が並外れて偉大な宝、福音を納めることは、この上ない栄光であり、感激のことではなかろうか。

主イエスを救い主として信じるわたしたちは、如何なる場合にも自分が自分を売り捲くり、自慢することなく、自分の土の器におられるイエス・キリストと福音をひたすら表わしつつ、受難節を迎えたいと願う。

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