信仰によって守られる 2009年11月1日 説教 原田史郎 牧師 ペテロの手紙Ⅰ 1章3~9節 本日は、教会員、客員、関係者を含めて7名の召天された方々を記念して礼拝を守ります。 神さまは、わたしたちを新たに生まれさせ、キリストの復活によって、生き生きした希望を与えてくださいました。ペテロは、ここで、単なる「希望」と言わないで、「生き生きした希望」と言い表しました。それは、神さまが生きたお方であり、神さまの「生きた言葉」によって(23)わたしたちを新しく、生まれてさせてくださいました。キリストは「生きた石」(2:4)であり、それによって、わたしたちもまた、「生きた石」(2:5)として用いられるのです。 また、神さまは、「天に蓄えられている財産を受け継ぐものとしてくださいました。」この「財産」を、文語訳聖書は、「天に蓄えある嗣業」と訳しました。嗣業というのは、神さまがイスラエルに約束された「乳と蜜の流れる地」のことです。財産とは、神さまが約束され、やがて確かに与えられた嗣業なのです。 キリスト者は新しくされ、希望を持って、この神さまの約束の内を歩く者です。だが、わたしたちの歩みは、多くの妨げる力に脅かされてもいます。この世の誘惑、肉や罪の力、そして悪霊や闇の力に囲まれています。そのため、終わりに用意された救いの完成を妨げるこれらの諸力によって、その歩みを阻まれ、危機に瀕することがあるのです。 ダニエルが、飢えた獅子の穴に放り込まれたという、よく知られた話があります。(ダニエル書6:19以下) そのとき、守られて危害を受けなかったダニエルは、言いました。「神さまが・・獅子の口を閉ざしてくださいました」(23) ペテロは、こう宣言します。「あなたがたは、終わりの時に・・準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」 召天された方々が、今、天にある財産(嗣業)を受け継いでいるように、わたしたちもまた、この大いなる、天にある財産(嗣業)を受け継いでいるのです。 |