その時が近づきおれば、目を覚ませ 2009年11月29日 説教 原田 史郎牧師 マルコによる福音書13章21~37節 マルコによる福音書13章は終末の預言が語られています。そこで主イエスは、終わりの前兆である「偽メシアに気をつけなさい」と警告されます。終わりになりますと苦難、混乱、災害といった今までの体制や安定を覆すような大きな変動が起こります。人々は、今までの拠り所を失い、自分たちを導いてくれる力あるものを求めます。しかし惑わされてはなりません。わたしたちにとって、どんな力があるように見えても主イエス以外に、メシアはいないのです。 次いで主イエスは、いちじくの枝が柔らかくなり、葉が伸び始めるなら、夏が近づいていることを学びなさい、と言われます。館山では、水仙がもう芽を出し、花まで咲きだして驚いています。新潟では、まだ、残雪のある2月ごろ、やと1,2センチの芽を出し始めます。人間の感じる体感温度はとうてい春とは思えませんが、植物は一足早く、春の訪れを告げるのです。そのように、「終わりのしるしが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいているのを悟りない」と主は言われます。「悟る」とは、気づく、深く知るということです。 そして最後に「目を覚ましていなさい」と勧められます。信仰生活は、目覚めている者の歩みです。わたしたちの日常生活には、偶然のようないろいろな出来事が起こります。それ自体は,なんということもない外的な事柄、事件ですが、そのことを通して、神さまのメッセージが隠されていることがあるのです。 わたしは以前、スピード違反で交通切符を切られたことがありますが、後で考えると、どこかに交通ルールを軽視していたことに気づかされました。安全のために神さまが警告してくださったのだと思います。 アドヴェントに入りました。主イエスが来られる時が近づいていることを覚え、信仰の目を覚まし、祈りつつ歩みましょう。 |