悪と戦うキリスト

            2010年2月28日 説教 原田 史郎牧師

マルコによる福音書 3章20~27節

 

 主イエスが再度、シモンの家に戻られたとき、群衆が集まってきたので、食事をする暇もないほどでした。そんな中で、身内の者が「あの男は気が変になっている」と言い、主イエスを取り押さえに来ました。この身内の誤解に便乗するかのように、律法学者たちも「あの男はベルゼブルにとりつかれている」と言い出し、さらに追い打ちをかけるように、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言いました。この律法学者たちは、エルサレムから来た学者たちです。ガリラヤの田舎の学者とは違い、神の都、神殿とも関係する権威ある者でした。彼らは主に対して真っ向から、主を異端審問官の様に、悪霊につく者と断じました。 

 そこで主は、たとえをもって話されます。国や家が内輪で争えば、成り立たない。サタンも同じで、内輪もめすれば、滅びる。律法学者たちの論理の矛盾を、主は鋭く突かれます。そして、まず、強い人を縛りあげなければ、その家のものを取り上げることは出来ない、と言われます。

 ここで主イエスは、悪霊に支配され、その奴隷になっている私たちのために、悪と戦っておられるのです。サタンや悪霊というと、現代の私たちは、なんとなく神話的なイメージを思い浮かべます。それは、トランプのジョーカーの様に黒い衣服に身を包み、尻尾があり、鋤を持っているのです。だが、悪霊は霊ですから、姿はありません。

 しかし、現代の私たちは、いつも漠然たる不安と虚しさを感じてはいないでしょうか。マイナスの力が、破滅させる狂気が、社会では差別や偏見として、、そして私たち自身のなかにも、自己制御出来ない不可解なものが働いているのを感じているのです。主イエスは、この私たちを支配し滅びへと誘う悪の力、サタンと戦われるのであります。神の国は、主イエスと共に、私たちのところに、近づいているのです。

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