執り成し

    2010年10月3日

    説教 原田 史郎牧師

ヘブライ人への手紙6章4~12節

「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、・・(それらの恵みを頂きながら)堕落した場合、立ち帰らせることはできません。」と、著者は言います。これは、警告の故に、厳しい言葉です。だが、この言葉を、審判者の言葉でなく、執り成しをする者の立場から聞いたなら、どうでしょうか。そうすれば、今、わたしたちは、いかに絶大な恵みに生かされているかを知るでしょう。

「光に照らされ」とは、洗礼を受けることを意味しています。そして「天からの賜物」としての聖餐に与り、諸々の霊的な祝福を受け、「神の素晴らしい言葉と来るべき世の力」を頂いたのです。

 土地は、種を受けても、自分で水を撒いたり、日の光を注ぐことは出来ません。種を育むために必要な雨、日の光等は、ただ上からのみ来ます。わたしたちが救われたのも、わたしの何か、ではなく、神さまの選びと憐れみによって救いに導かれ、洗礼を受けられたのです。

 それ故、この恵みを軽視し、蔑ろにするならば、やがて、良き地にもこの世の力が入り込み、この世の思い煩いによって、心を塞がれてしまいます。

 

 この神さまから与えられた素晴らしい恵みと特権を、最後まで、保つために、著者は「信仰と忍耐」がいることを語ります。信仰は、どんなことがあっても、最後まで信じ抜くことです。これに加えて、「約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」(10:36)主の救いを感謝し、最後までこの道を走り抜きましょう。

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