創造の神への信頼

 2010年10月24日

 説教 原田 史郎 牧師

ルカによる福音書38章1~18節

 

 群衆の一人が主イエスに遺産の配分について、口利きを頼みました。主は、この人の心にある貪欲を見抜き、言われました。「貪欲に用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、命は財産によってどうすることもできない。」不思議なもので、遺産が入ると分かりますと、人の心の中に眠っていた貪欲が目覚めるのです。

 

 そこで、主は、たとえ話を語られました。ある金持ちの畑が豊作で、彼は、いろいろ思い巡らしました。そして、新しい倉を建て、そこに収穫物や財産を蓄え、自分に言い聞かせます。「これから先、何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」

 

 この金持ちの生き方の特徴は、徹底した自己中心主義です。彼は、周りの人たちや、貧しい人たちのことは、まったく考えていません。「どうしよう。作物をしまっておく場所がない。」というのも、自分に言い聞かせているのです。

原文では、七つの「わたし」があります。いわく、「わたしの作物」「わたしの穀物」等です。

 

 主は、この金持ちに社会的慈善を、ここで求められたのではありません。主が指摘なさったのは、この金持ちの生き方の中に、すなわち彼の心と生活の中に神さまがいない、ということです。豊かな祝福を与えられても、この人の言葉に、「神さま」も「感謝します。」もありません。すべて、自分とこの世のことでしかないのでした。

 

 しかし、主は言われます。「愚かな者よ。今夜お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、いったいだれのものになるのか。」続く話で、主は、 「ただ、神の国を求めなさい。」(12:31)と言われました。神の国に、心あらしめたいものです。

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