主の来臨の希望 牧師 原田 史郎 イザヤ52章1~10節 「奮い立て、奮い立て、力をまとえ、シオンよ」と、預言者イザヤは、呼びかけます。でも、一体どこに民を奮い立たせるような希望があるのでしょうか。バビロンに捕囚となった民には、帰るべき国はなく、戻るべき家もありません。ヤハウエの神殿は廃拠と化し、周りは、異教の偶像礼拝の神殿が繁栄を謳歌しているのです。このような民族的な危機は、わたしたちも経験したことです。
3・11以降、今まで安心し安全だと思っていたものが、不確かなものであることが分かってきました。 しかし、イザヤはこのような中で、神さまが「その日には、わたしが神であることを“見よ、ここにいる"と言う者であることを知るようになる」と語ります。わたしたちも、神はどこにおられるのかと、問うことがあります。しかし、わたしたちには今、見えなくても、神さまの救いのご計画と導きは、確実に備えられているのです。 「主はこう言われる。“ただ同然で売られたあなたたちは、銀によらず買い戻される"と。」この「買い戻す」という言葉は「贖う」(あがなう)と言う意味です。神さまに反抗して罪を犯し、価値なき民であるのにも関らず、主は、その民を贖われるのです。そのために、独り子イエスを、わたしたちのところへと送ってくださるのです。アドベントは、主イエスの来臨に希望をかけて待つときなのです。 |