壺の粉、瓶の油尽きず

牧師 原田 多恵子

列王記上17章8~16節

 

 エリヤは、イスラエルの人々にとって、最も尊敬されている預言者です。バアル礼拝をイスラエルに導入し、ヤハウエの預言者たちを弾圧したアハブ王とイゼベル王妃の時代に、彼は預言活動を行いました。

 このため、エリヤは、王の迫害を逃れ、ヨルダン川東岸のケリト川に行き、そこで烏が運ぶパンと水によって養われました。

 その後、主は再びエリヤにシドンのサレプタで住むように命じられます。彼は、サレプタに行き、ひとりのやもめに水とパンを所望します。やもめは「ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです」と答えます。それでもエリヤが、主の定めたときがくるまで「壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」と言いますと、やもめは行って預言者の言う通りにしました。すると、壺の粉、瓶の油は尽きることなく、エリヤたちを幾日も養ったのです。

 わたしたちは、悩みや行き詰りにあったときどうするのでしょうか。真に痛ましいことですが、日本では、毎年、三万人以上の人たちが、絶望の中に、自らの命を絶っています。中には、餓死されたケースもあり、この豊かに見えるこの国の中に、悩みや格差と貧困があるのです。

 最近カーネギーの『道は開かれる』という本を読みました。そこで著者は、わたしたちが最善を尽くしたとしても、道を開くのに、最後に神に信頼して委ねるという信仰の力、行動について語っています。

 やもめは、最後に残った食物を息子と食べてしまえば「あとは死ぬのを待つばかりです」という絶体絶命の状況でした。後に、エリヤが、この息子を死の病気から救ったとき、彼女は告白します。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です」

 主に信頼し、主の御言葉を信じて従っていくとき、わたしたちの壺の粉、瓶の油も尽きることが無いのです。

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