神に聴かれる祈り

牧師 原田 史郎

 

ヨハネによる福音書4章20~26節

主イエスとサマリヤの女との対話が、井戸の傍でなされます。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と、主は言われました。「その水をください」と言った女は、この方は、只者ではないことに気付きます。そこから、対話は、礼拝の話に転換し、「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と、主は言われました。「礼拝は祈りである」とは、宗教改革者カルバンの言葉ですが、主の示された礼拝のあり方は、祈りにもいえることであります。

 神さまに聴かれる祈り、すなわち神さまが喜ばれ受け止めてくださる、霊と真理の祈りには、特長があります。その第一は、「神さまに心から呼び求める」ということです。ダニエルは、エルサレムの回復のために、「伏して嘆願の祈りをさげます」と訴え、「主よ、耳を傾けて、お計らいください(ダニエル書9章18~19a)」と祈りました。わたしたちは、日々多くの祈りを神さまにしています。しかし、その数多い祈りが、このダニエルの祈りのように、どれほど心からの呼び求めになっているのか問われることです。

 次に、霊と真理をもっての祈りは、「わたしたちが自分の罪や困窮を知り、神さまの尊厳の前に、へりくだって祈る」ことです。神殿を建立したソロモンに神さまは「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民がひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち返るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し彼らの大地をいやす(歴代誌下7章14節)」といわれました。

 わたしたちの祈りは、知らない間に神さまに問題解決を要求し、何がしの注文をすれば(祈れば)商品は(答え)当然のように手に入ると思っている顧客のようになってはいないでしょうか。罪と行き詰まりの中で、へりくだり、神さまのみこころを問いつつ、祈ることが大切なのです。

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