祈りの友 牧師 原田 史郎 ルカによる福音書22章31~34節 最後の晩餐の席で、主イエスはペトロに言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」。かつて主は、シモンを見て「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(ギリシャ語ではペトロ)―「岩」という意味―と呼ぶことにする(ヨハネによる福音書1章42節)」と言われたのですが、ここでは、主を知る前の彼の人間性をよく表す名前で呼びかけられます。シモンと弟子たちに、主イエスの受難という大きな危機が迫っていました。 主は「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と言われます。小麦をふるうような、立っている地盤自体が揺れ動く、経験したことのない未曾有の試練に、シモンの信仰ではもはや成すすべがないのです。主イエスの祈りがなければ、彼はこの試練に到底、耐えることは出来なかったのです。 M・パワーズの「足あと」という詩があります。 「ある夜 わたしは夢を見た 神さまと 二人並んで わたしは 砂浜を歩いていた 一つは 神さまの もう一つは わたしのだった」 ところが、最後に振り返ると、足あとは一つだけだったのです。 これは一体、どういうことかと、いぶかっているわたしに、主の声が聞こえます。 「わたしは けっして お前のそばを 離れたことはない お前がもっとも 苦しんでいたとき ・・わたしが お前を抱いていたからなんだよ」 わたしたちの信仰と生活は、この主の祈りに支えられているのです。主は、シモンに「だから、あなたは立ち直ったなら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われます。わたしたちも、主の祈りに支えられて、兄弟姉妹のために祈る「祈りの友」として召されているのです。 |