「救われるべき名は、唯一」

(6月14日の説教から)

牧師 原田 多恵子

使徒言行録4章5~12節

 神殿で足の不自由な男が癒され、それに続いてペトロが説教します(3章)。さらにヨハネも加わって、人々に話をしていますと、祭司たち、神殿守衛隊長、サドカイ派の人たちが近づいてきて、彼らを捕えて牢に入れてしまいました。祭司たちなどサドカイ派の人たちは、復活を信じないで、政治的にはローマと妥協して既成秩序を守る旧守派でしたから、使徒たちの話に苛立を抑えることが出来なかったのです。

 あくる日、議員、長老、律法学者、それに大祭司一族たちが集まり、ペトロたちに「何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問しました。この問いに対して、ペトロは「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるのです」と答えます。ここには、もはや、恐れに震え、自己保身に汲々として、三度もイエスを知らないと言った、あの弱々しいペトロの姿はありません。聖霊に満たされた使徒は、石造りたちの捨てた石が隅の親石になった、という古いメシア証言のひとつである詩編118編28節の予言を引用して「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちの救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と言いきります。

人間はいろいろの所に救いを設けようとします。しかし、神さまは、真の救いを、ただイエス・キリストのみに置かれました。キリスト者の救いと力は、この唯一の名にのみあるのです。

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